2009年06月22日

散布型地雷とスマート地雷

ベトナム戦争ではゲリラ戦が主だったこともあり戦況が流動的で、地雷設置に時間を割くことが難しかった。そのため、航空機などから散布する散布型地雷が開発された。しかし、個々の散布型地雷の設置場所は散布部隊自身にもわからず、またゲリラ戦ゆえ戦場も流動的であるため、友軍が散布した地雷が行軍上の障害になるという事態が発生した。

この問題を解決するために開発されたのが「スマート地雷」である。最初のスマート地雷は、アメリカが1978年に開発したFASCAM(Field Artillery Scatterable Mines、ファスカム)で、散布後一定時間が経過すると自爆する。タイマーによる自爆・無力化以外に、暗号化された無線送信に対して応答して所在を知らせ除去を容易にするものなど、さまざまな技術が開発されている。しかし、たとえば自爆型地雷が自爆失敗する確率が0.1%?5%あるなど、完全ではない。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験


スマート地雷はあくまで軍事上の必要性から生まれた兵器であるが、結果として、地雷の非人道性を減ずることとなった。つまり、今叫ばれている地雷の人道的な面での問題のほぼ全ては、(コストは掛かるが)技術で解決が可能なものである。しかし、昨今問題とされているのはこうした機能を持たない旧式の地雷であり、地雷を敷設する際のセオリーを守ることのない非正規交戦組織によるものであり、発展途上国では現在でも依然として安価且つ大量に製造販売が行われている。

戦略上の地雷 [編集]
地雷は原則として(自分から飛んで行ったり)能動的に攻撃を行うものではない。その意味で、日本政府が標榜する「専守防衛」という戦術的観念には適合的である。しかし、陸上自衛隊は対人地雷禁止条約(後述)に従い、2003年2月までに処理訓練用のものを除く対人地雷を廃棄した。もっとも、遠隔操作のみで爆破可能な指向性散弾は条約の禁止する対人地雷に含まれないため、代用武器として使用している。


雷による被害 [編集]
地雷による被害は人間が足を失ったり死亡したりする直接的な人的被害と、地雷が埋まっているかもしれない土地が不動産価値を失ってしまう経済被害に大別できる。 たった一個の地雷が埋まっているかもしれないというだけでその土地を活用することが出来なくなり、その土地を通行することはおろか、農地や宅地として使用することが出来なくなってしまう。 通行できない土地が多くなると流通にも支障をきたし、外国資本だけでなく国内投資もその場所を避けるので多大な経済損害を受ける。

2009年06月05日

武衛家とは斯波氏の嫡流

武衛家とは斯波氏の嫡流、すなわち室町幕府の管領をつとめた家柄をいう。武衛とは兵衛督および兵衛佐の唐名で、当主が代々任ぜられたことに由来する。

斯波氏は室町幕府において執事(後の管領)として任用されるようになる。しかし、幕府は将軍家の家政機関であり、将軍家とほぼ同列の格式を持つ斯波氏が幕府の要職に就くということは、将軍家より格下で臣下だということを認めることであった。事実、それまで足利氏の執事は臣下の高氏が歴代務めていた。そのため当初、斯波高経は臣下がなすべき執事への就任を渋っていた。しかし、結局は高経の子 斯波義将が執事に就任し、高経がこれを後見することとなった。

幕府の執政となった高経・義将親子であったが佐々木道誉の策謀により一時は失脚。高経死後に義将が幕政に復帰すると、管領の細川頼之と対立し、反細川派の勢力を結集し、3代将軍足利義満に頼之の罷免を求める康暦の政変で再び管領となる。

斯波義将は義満の没後も将軍足利義持を補佐し、朝廷から義満に対する太上天皇の尊号を追号する事を拒否したり、勘合貿易の廃止を提言するなど影響力を持った。

幕府において三管領四職七頭の制ができると、斯波氏は畠山氏、細川氏と管領を出す家柄として重んじられ、他の二家を抑えて三管領筆頭の家柄を有するに至った。斯波義重は1399年の応永の乱における大内氏討伐の功により越前国・尾張国の守護職を与えられ、以降世襲する。しかし、義将死後は衰退への道をたどり、義将の甥である満種は1414年に将軍足利義持の不興を買い、加賀守護職を失って高野山に隠退。1409年に管領職を譲られた孫の斯波義淳もまもなく解任され、足利義教が6代将軍に就任するまで長い間、幕府から冷遇される事となった。

斯波氏は家柄としては三管領の筆頭を誇り勢力も大きいことから嫡流も奥州に拠点を持った斯波氏の一門(高水寺斯波氏、大崎氏、最上氏、天童氏など)らも当初は大いに栄えた。しかし、中央においては細川氏が政治の拠点 畿内を抑え、畠山氏も畿内近辺に所領を有すのに対して、斯波氏の所領は尾張国と越前国という京都から遠い場所であり、また領地同士が分断されていた。当主は京に滞在していることが多いため、支配は守護代に委任せざるをえなかった。このため次第に領国の実権は朝倉氏や織田氏などの守護代、重臣らに牛耳られるようになっていった。応仁の乱の際にいち早く斯波氏が守護職をつとめる越前で下克上が発生するのはそのためである。
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応仁の乱前夜、斯波家嫡流の武衛家では斯波義健没後、家督相続をめぐる争いが起こった。斯波氏庶流にあたる斯波大野氏からの養子であった斯波義敏と、渋川氏出身の斯波義廉とが家督を巡って争ったのである。この家督争いが足利将軍家や畠山氏の家督相続と関係して1467年の応仁の乱を引き起こす原因の1つになる。応仁の乱に際しては義敏も義廉も領国に下ってその一円支配を目指すものの、遠江国を今川氏に、越前国を朝倉氏に奪われて領国の大半を失い、尾張国で義敏の子孫が守護代の織田氏に推戴されて存続するのみとなった。

なお、斯波義廉の子義俊は、室町将軍家の分家である越前の鞍谷公方を継ぎ、形式的な越前国主として朝倉氏に推戴された。

尾張国のみを残すところとなった斯波氏であるが、応仁の乱後にすぐさま織田氏の傀儡となったわけではなく、斯波義寛が室町将軍による六角征伐へ織田氏を従えて参陣していることや、斯波義達が遠江国奪還のための出陣を繰り返すなど、依然、守護としての威令は保っていたようである。しかし義達が今川氏親に敗れ遠江国奪還に失敗し、斯波義統が年少で当主となると、以後は織田氏の力が更に強まり、守護である斯波氏を完全に凌駕するようになる。

2009年05月02日

生態系

生態学における生態系(せいたいけい, Ecosystem)は生物群集やそれらをとりまく環境を、ある程度閉じた系であると見なしたとき、それをさしてこう呼ぶ。

ある一定の区域に存在する生物と、それを取り巻く非生物的環境をまとめ、ある程度閉じた一つの系と見なすとき、これを生態系と呼ぶ。

生態系は生態学的な単位として相互作用する動的で複雑な総体である。

生態系という語は1935年にイギリスの生態学者アーサー・タンズリーの論文に初めて現れる。しかし、実際にこの語を作り出したのはタンズリーの同僚のロイ・クラファンだった (1930年)。

生態系の生物部分は大きく、生産者、消費者、分解者に区分される。植物(生産者)が太陽光から系にエネルギーを取り込み、これを動物などが利用していく(消費者)。遺体や排泄物などは主に微生物によって利用され、さらにこれを食べる生物が存在する(分解者)。 これらの過程を通じて生産者が取り込んだエネルギーは消費されていき、生物体を構成していた物質は無機化されていく。それらは再び植物や微生物を起点に食物連鎖に取り込まれる。これを物質循環という。

ある地域の生物を見たとき、そこには動物、植物、菌類その他、様々な生物が生息している。これを生物群集というが、その種の組み合わせは、でたらめなものではなく、同じような環境ならば、ある程度共通な組み合わせが存在する。 それらの間には捕食被食、競争、共生、寄生、その他様々な関係がある。捕食-被食関係のような生物間のエネルギーの流れを食物連鎖と呼ぶが、近年ではその複雑さを強調して食物網(food web)が用いられることが多い。
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食物網を見渡すとき、植物、それを食べる植食者、さらにそれを食べる肉食者というように生きたものを起点とする食物網がある。これに対して、生物の遺体や排出物を起点として微生物がこれを利用し、さらにそれを他の生き物が利用する食物網がある。前者を生食食物網(grazing food web)、後者を腐食食物網(detrital food web)と呼ぶ。実際には両者は所々でつながっており完全に独立したものではない。

どちらの食物網においても植物による光合成を起点として、エネルギーが何段階もの生物を経由していくことがわかる。これらを生産者、一次消費者、二次消費者あるいは一次分解者、二次分解者というように呼び、このような段階を栄養段階(trophic level)と呼ぶ。

通常ある生態系における生物群は他の生物間や環境とバランスのとれた関係になっている。新たな環境因子や生物種などの導入は著しい変化を及ぼし、生態系の崩壊や在来種の絶滅などを引き起こす事も考えられる。

2009年04月18日

ヒツの戦い

邲の戦い(ひつのたたかい、中国語 邲之戰 Bì zhī zhàn)は、紀元前597年(周の定王10年、魯の宣公12年)、中国、河南省鄭県の邲において晋と楚が激突した戦い。楚軍の大勝利に終わった。これ以降、天下の覇権は晋から楚へと移り、楚の荘王の威光が大陸を覆うことになる。

楚荘王は天下平定を目指していたが、北上するたびに晋に阻まれていた。そこで荘王は一大決心でもって自ら兵を率いて鄭を攻めた。鄭は晋に援軍を求めたが、晋の正卿の荀林父は度重なる鄭の面従背反を知り抜いていたので、援軍を送らずに放っておけばすぐに鄭は楚に降伏するだろうとみて、これを退けた。鄭は負ければ今度こそ荘王に国を滅ぼされるという危機感を抱き、必死に抵抗したので、晋の想像よりも長い間陥落しなかった。そこで晋は援軍を発したが、晋軍が鄭に到着する頃に、鄭は陥落した。

鄭の襄公は微子啓が周に降ったときの礼でもって荘王を迎えた。楚の群臣は鄭を滅ぼすことを勧めたが、荘王は「鄭君は人に遜ることが出来た。必ずやよく国を治めるだろう」と言って、鄭君に恥辱を与えないために兵を退き、あらためて鄭と同盟を結んだ。

鄭の陥落を知った晋軍の師将の荀林父は撤退しようとし、上軍の将士会も「よろしい。戦いは敵の隙を突いて動くもの。徳・刑・政・事・典・礼の6つが正しく行われている楚に敵対してはなりません」と言ってこれに賛同したが、中軍の佐先穀は戦うことを望み、独断で兵を動かしたので、仕方なく戦うことになった。
セタノール スタッフ 青空の破片 シロキ システム シャリ フレッシュ 星空 レビュー スケープ レター セラピスト ウォータ 雪化粧南瓜 ヤンゴン マリン フリマ ジンゲス ひえい リヤド 大冒険ニュ ポポポ ハート なご セレシン ジンク ネーチャー ブル スティック スポーツ リトル ショート システ フリー 砂漠のバラ ブジー コスメ クリーム トロメア うぇあ あしげ プロペラ ナイフ ショッキ キュート イング スタメン チャ・チャ バラクーダ ローブチ

晋軍の編成
中軍 - 将:荀林父 佐:先穀 中軍大夫:趙括、趙嬰斉
上軍 - 将:士会  佐:郤克 上軍大夫:鞏朔、韓穿
下軍 - 将:趙朔  佐:欒書 下軍大夫:荀首、趙同
司馬:韓厥

楚軍の編成
荘王(楚王) 孫叔敖(令尹)
中軍 - 将:沈尹
左軍 - 将:子重
右軍 - 将:子反

決戦
楚の荘王と令尹(宰相)の孫叔敖は鄭を降したのちに晋軍と戦うことに意義はないとし、後詰の軍勢を残して郢に撤退しようとしたが、伍参が荘王の前に進み出て「晋の政治を執っている者は就任して日が浅く、群臣はまとまっていません。戦えば必ず勝てます。ましてや敵の師将は一国の宰相であり、我が軍の師将は一国の君主であるのに、ここで退いてどうして天下に示しがつきましょうか」と言って叩頭し、額を割らんばかりであった。

荘王は悩んだ末に馬車を北に向けさせ、鄭国内の管に陣を構えてから晋に和睦のための使者を送った。晋の荀林父と士会はこれを受け入れると使者を送ったが、先穀も密かに使者を送り、和睦を拒絶し戦をすると伝えさせた。しかし、不審に思った荘王はまた和睦の使者を送ったので、結局晋と和睦することになった。

荀林父は和睦の使者として魏錡と趙旃を送ったが、この二人は元より和睦するつもりはなく、荘王を討ち取るつもりであった。楚王の陣に近付いた二人は攻撃を仕掛けたが、守りが堅く果たせなかった。退却する二人を追って荘王の本陣の兵が晋軍の中に突出しそうになったので、荘王の陣が孤立することを恐れた孫叔敖は慌てて全軍に突撃を命じた。

荀林父は突然の楚軍の突撃に為す術を知らず、「一番早く河を渡って退却したものに褒美を出す」と全軍に布告したので、晋の中軍と下軍は瞬く間に壊滅し、退却のときに黄河を渡るも船の数が足りず、1つの船に多くの兵が群がったので先に船に乗れた兵は転覆を避けるために船縁をつかんだ兵の指を切り捨てた。このため春秋左氏伝においてこの状況を「舟中の指掬す可し。」と描写された。晋の三軍の中では士会の率いる上軍だけがこの混乱の中で動じず、一兵も損ぜずに退却することに成功した。

事後
この戦い以降、晋は暫くの間低迷期に入り、楚の荘王の威光が天下を覆うことになる。これにより荘王は春秋五覇に数えられることもある。

2009年04月03日

東西合併から春秋園事件が起こった

昭和時代 [編集]
1927年(昭和2年)の東西合併から春秋園事件が起こった1932年までの間、番付編成の基準はめまぐるしく変化し(東京開催と関西開催を交互に行う年4場所制だったが、東京場所の番付は東京場所の成績を基準に作成され、関西場所も同様に作成された、など。)、力士の地位・出世にも影響を及ぼした。能代潟の項を参照。
東西相撲合併後の1927年1月場所、年寄定員88名に大阪方17名を加え105名に増員(うち2名は一代年寄)。この場所の番付の「年寄」の欄には現在の番付と違い、「年寄」と書かれた下部に小さく「イロハ順」と書かれており、いろはの順番に年寄名が記載されていた。この番付で大坂相撲の錦城山、荒熊の両大関は平幕に編入された。
1931年(昭和6年)1月場所千秋楽、横綱宮城山が引退を表明したが、翌3月場所には名を残し、5月場所の番付は1890年5月場所以来41年ぶりに横綱不在の番付(翌1932年10月場所まで)となった。
1931年1月場所の番付は、西方幕内に出羽ノ海部屋力士が独占した。大関大ノ里以下20人がすべて出羽ノ海所属である。これは大相撲史上空前絶後の記録で、十両も22人中10人と半数近くを占めた。対する東方幕内は立浪部屋の3人が最多だった。
1932年1月場所の番付編成(春秋園事件による改正前)において、前年5月場所で優勝した小結武藏山は関脇を飛び越し新大関に昇進した。小結から新大関に昇進した例は、1938年(昭和13年)5月場所の前田山がいるが、前田山の場合は前(1月)場所に横綱玉錦を破り11勝2敗の好成績をあげ、この場所大関が鏡岩1人ということも考慮され大関昇進を決定づけた。
1933年(昭和8年)1月場所の番付は前年に起きた春秋園事件で発足した大日本相撲連盟から脱退し、協会へ帰参した幕内格12名、十両格8名は協会脱退当時(1932年1月)の順位で東西を分けず、地位も記さず別席として四股名を連ねた番付を別に添付した。この場所の番付は従来より小型となった。翌5月場所には元の大きさに戻った。
1933年2月、天龍一派の新興力士団が「大日本関西角力協会」を結成。大阪で第一回本場所開催のおり発行された番付(東西制はなく片番付様式)には大関天龍、関脇大ノ里、小結錦洋以下力士41人。行司(番付には行司ではなく「審判員」と書かれている)7人(この中にのちの24代木村庄之助(当時は初代式守伊三郎)がいる)。他に「事務員」「拡声係」「桟敷係」「世話人」が書かれている。
1934年(昭和9年)5月場所の番付より、幕下以下の力士全員の出身地名が記載された。
1936年(昭和11年)5月場所、双葉山は新関脇の場所で11戦全勝で優勝し、新大関昇進を決めた。新関脇の番付を1場所で新大関に昇進した例は、1918年5月場所の九州山(東西制による)、1939年(昭和14年)5月場所の羽黒山(11勝4敗)、1940年(昭和15年)5月場所の五ツ嶌(13勝2敗)がいる。このうち五ツ嶌の13勝は新関脇として最多の勝ち星(15日制以降)で、のち吉葉山(1950年(昭和25年)5月場所)、琴欧州(2005年(平成17年)9月場所)がこの記録に並んでいる。
相撲界を揺るがした「春秋園事件」も1937年(昭和12年)暮れに関西角力協会がついに解散。それに伴い帰参した力士の番付編入は厳しい扱いだった。1938年1月場所の番付では帰参力士は脱退時の番付地位より一段下に編入。関西の入門者で幕内・十両となった者は幕下に、それ以下の者は新弟子扱いとなった。
1939年1月場所、日中戦争(支那事変)の激化で応召・入営力士が増え、番付にはその力士の上に「応召」・「入営」と書き加えた。1940年5月場所には応召・入営力士は番付の欄外に一括された。
1939年5月場所の番付編成において、1月場所4日目の前頭4枚目安藝ノ海戦で、連勝記録が「69」で止まった横綱双葉山は9勝4敗と振るわなかったが、11勝2敗と双葉山より成績の良かった横綱男女ノ川を差し置いて、連勝記録の実績を評価され東正横綱に据えられた。期待に応えた双葉山は、興行日数が15日制となったこの場所、完全復活し見事15戦全勝(15日制で史上初)で6回目の優勝を果たした。
1940年5月場所、東前頭12枚目の青葉山は7勝8敗と負け越しながら翌場所は西前頭4枚目と、落ちるどころか逆に8枚も昇進したという極端なケースがある。こういうのを俗に言う「番付運」で、当時は東西制でそうするより仕方が無かったと思われる。
1941年(昭和16年)1月場所で安藝ノ海、五ツ嶌の同時大関昇進で、前田山を含めて番付の東方に3大関が並んだ(西方は羽黒山1人)。これは1919年(大正8年)1月場所(西方に2代朝潮、千葉ヶ嵜、伊勢ノ濱。東方は九州山1人)以来22年ぶりの変則番付となった。
1942年(昭和17年)1月場所の番付より、機密隠匿のため応召および入営力士の欄外張出はされなくなった。
1944年(昭和19年)11月場所後の番付編成会議は、力士の応召などの関係から次場所(1945年(昭和20年)5月場所)開催の1ヶ月前に行うことになった。その5月場所は空襲の影響により6月に順延となった。
戦後初の1945年11月(秋)場所の番付はザラ紙の小型版で序ノ口力士はなく、記載力士はわずか216人だった。
1946年(昭和21年)11月場所は丸1年ぶりに行われた本場所だったが、横綱双葉山をはじめ、笠置山、玉ノ海、出羽湊などが前年11月場所限りで大量に引退したため、幕内と十両で13名の力士が番付から消えた。
1947年(昭和22年)6月場所の番付で、十両を1場所で新入幕を果たした岩平は本名のまま土俵に上がったが、本名のままの幕内力士第1号だった。翌11月場所「若葉山」と改名した。また、この場所の番付で史上初めて5大関(佐賀ノ花、前田山、名寄岩、東富士、汐ノ海)となった。
1948年5月場所で、横綱・大関・関脇各3人の番付ながら張出を設けず、すべて枠内に四股名が記載された番付となった。翌10月場所も横綱・大関各3人がすべて枠内に書かれた。このときはこの2場所のみだったが、1994年(平成6年)7月場所に張出制度が休止されて以降、張出のない番付は現在に至っている。
1951年(昭和26年)5月場所の番付編成で、三役格行司の8代木村庄三郎(のち19代式守伊之助)を新設された副立行司に昇格させ、立行司の13代木村玉之助が同じ副立行司に格下げとなった。同年9月場所にも三役格行司2代木村正直(のち23代木村庄之助)が副立行司に昇格となった。
1951年5月場所初土俵の愛宕山は、番付に四股名が載ってから五分あるいは負け越しの場所が続き、7場所目に初めて勝ち越したが、翌場所力士数の少ない当時としては異例の三段目に昇進した。その後番付上の幸運は続き、1955年(昭和30年)9月場所、幕下26枚目で8戦(当時)全勝優勝し翌場所十両に昇進している。
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1956年(昭和31年)3月場所の番付は1918年1月場所以来38年ぶりに、横綱・大関・関脇・小結・前頭に張出(横綱?栃錦、千代の山、大関?松登、関脇?羽嶋山、小結?鶴ヶ嶺、前頭?星甲)がある番付となった。翌5月場所も同様(横綱?鏡里、千代の山、大関?松登、関脇?出羽錦、小結?羽嶋山、前頭?二瀬山)に各地位に張出がある番付となった。
1957年9月場所の番付編成において、幕下まで20場所以上要した力士は廃業とする力士整理案が実施された。これにより三段目以下で廃業した力士が多く、前場所より28人減となった。
1960年1月場所、これまでの番付を改め「取締」「理事」を東方の最下段に、「勝負検査役」を中央部の「行司」の欄の下部に配し、「若者頭」「世話人」「呼出」を削除した。
1960年1月場所、羽黒花はこの場所まで3場所連続十両昇進をしてもおかしくない成績を挙げながら幕下西筆頭の地位だった。1959年(昭和34年)7月場所、幕下西14枚目で7勝1敗(当時幕下以下は8番相撲)で幕下優勝。しかし翌9月場所は西7枚目。再び7勝1敗の成績ながら、翌11月場所は西2枚目。ここで十両昇進決定的ともいえる6勝2敗の成績を上げ、いくら何でも今度こそは十両入りと、すべての支度を整えて周囲も本人もその気でいたところが、1月場所の番付発表で西筆頭止まりという番付運の悪さがつきまとった。しかしこの場所8戦全勝で幕下優勝を果たし、翌3月場所には十両に昇進している。
1960年7月場所、十両に陥落した東筆頭の羽子錦は9勝6敗の成績を上げながら再入幕できなかった。東筆頭で9勝を上げながら入幕できなかったのは羽子錦が史上ただ一人。十両西筆頭の地位で9勝を上げながら入幕できなかったのは、1987年(昭和62年)11月場所の大乃花、1990年5月場所の貴闘力(現大嶽)、1991年(平成3年)3月場所の栃司(現入間川)がいる。
1960年7月場所後に興行された、秋田県大館巡業において作られた板番付には、東方張出大関の柏戸は枠外に書かれているのに、同じ東方で枠内に書かれている関脇の若三杉(のち大豪)は、普通なら東の正関脇のはずが何故か「関脇」の文字の上部に、小さく「張出し」と書かれている。
1961年(昭和36年)11月場所、大関・関脇・小結は張出がある番付で、横綱(初代若乃花、大鵬、柏戸、3代朝潮の4人)のみ、張出を設けず4人を正横綱とし枠内に記載された番付となった。途中朝潮の引退もあったが、この様式の番付は翌年3月場所まで続いた。
1962年(昭和37年)5月場所直前に起きた二所ノ関部屋配属力士の片男波部屋移籍問題で紛争が起き、二所ノ関(元大関・佐賀ノ花)が9力士の廃業届を提出したが、5月場所7日目に緊急理事会を開き、二所ノ関部屋の廃業9力士の復帰を現在の番付地位より10枚下げて認め、時津風理事長(元横綱・双葉山)は二所ノ関と片男波(元関脇・玉乃海)の2人に謹慎を命じた。
1964年(昭和39年)11月場所、幕下で7戦全勝優勝した伊藤川(のち若葉山)は東幕下40枚目の地位だったが、翌1965年(昭和40年)1月場所の番付で一気に十両に昇進した。現在では幕下で全勝しても、15枚目より上位でないと十両に上がれないので、当時としては非常に幸運なケースといえる。
1966年(昭和41年)1月場所の番付は74年ぶりに役力士昇進、新入幕力士ともになかった。
1967年(昭和42年)5月場所の番付は枚数削減を実施(幕内34人、十両26人、幕下は120人の定員)したため新入幕力士、新十両力士ともになし。3月場所、十両で勝ち越した安芸の國、前田川、嵐山は幕下へ陥落した。安芸の國は翌7月場所、再十両となり、嵐山も再十両ののち入幕を果たしたが、前田川は5月場所で負け越すとそのまま引退してしまった。
1967年12月23日、協会の機構改革により翌1968年1月場所の番付編成において、理事15人、監事3人のうち理事を10人に減らし、理事の互選による取締制度を廃止。勝負検査役も任命制となり、名称も「審判委員」と改められ新しく設置された。
1970年3月場所、東関脇の栃東(現玉ノ井)は1点の負け越し(7勝8敗)で翌場所東前頭筆頭に番付を下げた。1971年3月場所、同じ東関脇の陸奥嵐は7点の負け越し(4勝11敗)ながら翌場所の番付は西前頭筆頭、同場所東小結の藤ノ川(現伊勢ノ海)も5点の負け越し(5勝10敗)で翌場所は東前頭2枚目だった。
1972年(昭和47年)7月場所で史上初めて5関脇(輪島、貴ノ花、三重ノ海(現武蔵川)、魁傑(現放駒)、長谷川(現秀ノ山))の番付となった。
1972年9月場所、十両で初の公傷制度が適用され、大潮(現式秀)と鷲羽山(現出羽海)が先場所の番付と同地位で張り出された(大潮は東5枚目、鷲羽山は西10枚目)。その後、1976年(昭和51年)5月場所に十両の公傷休場力士の張出扱いを休止した。
1972年11月場所の番付で東前頭14枚目の福の花の四股名が行司の誤記により「福ノ花孝一」と書かれた。
1975年(昭和50年)頃の番付で立行司(木村庄之助、式守伊之助)と同列に三役格行司の名前が書かれたことがあった。
1975年3月場所の番付は、1948年10月場所以来27年ぶりに張出のない番付となった。
1976年9月場所、前頭4枚目の元大関魁傑は14勝1敗で平幕優勝。大関(1975年3月場所?同年11月場所、在位5場所)を陥落して5場所目だが、平幕まで陥落した大関経験者の優勝は史上初。魁傑は翌1977年(昭和52年)3月場所には再び大関に昇進したものの、在位4場所で陥落した。
1977年(昭和52年)5月場所で元大関大受(現朝日山)が十両に陥落したが、元大関の十両陥落は史上初。大受は初日から3連敗の後休場し、8日目に引退を表明した。
1978年11月場所前、この年は全国的に深刻な水不足に見舞われたが、福岡県地方は特にひどく、協会は少しでも負担を軽くとの配慮から、場所前の巡業を打ち上げた後いったん帰京。番付発表を東京で行い、全力士の福岡入りを初日の6日前まで遅らせた。
1980年(昭和55年)7月場所の番付編成で、福薗(のち逆鉾、現井筒、元関脇鶴ヶ嶺の次男)、鶴嶺山(長男)の史上初、兄弟十両同時昇進が決まった。親子3人関取も史上初。
1980年11月場所、右肩の怪我で三段目まで陥落した元小結大豊は見事7戦全勝優勝したが、元三役が三段目の土俵に上がったのは、1938年(昭和13年)5月場所の出羽ヶ嶽以来47年ぶりで、三段目優勝となると史上初。
1981年9月場所の番付は大関不在のため東西の正横綱、北の湖と千代の富士(現九重)が「横綱大関」となる。大関不在の変則番付は1905年(明治38年)1月場所(2代梅ヶ谷、常陸山の東西正横綱が「横綱大関」となる)以来76年ぶり。
1983年(昭和58年)5月場所の番付編成において、大関にも公傷制度を適用することとなった。同年9月場所8日目に朝潮(現高砂)が横綱隆の里(現鳴戸)戦で膝を痛めて休場し、大関公傷適用第1号となった。
1985年(昭和60年)1月場所より新国技館で開催されたが、番付には「両国國技館」ではなく「國技館」と、「両国」の文字は入らなかった(蔵前国技館時代の番付には「藏前國技館」と書かれていた)。
1985年3月場所の番付において、新入幕の前頭14枚目寺尾(現錣山)は兄の同4枚目逆鉾(現井筒)と同時幕内を果たし、1791年(寛政3年)11月場所の横綱谷風、前頭6枚目達ヶ関以来194年ぶり史上2組目の兄弟同時幕内力士となった。
1985年3月場所初土俵の蒼樹山(現枝川)は、番付に「寺木」の名が初めて載った翌5月場所で7戦全敗。その次の7月場所も初日から3連敗のあと初白星をあげたものの、初土俵から10連敗を記録した。それから18年後の2003年(平成15年)11月場所、十両西8枚目を最後に引退したが、この場所初日から9連敗、10日目不戦敗で同じ10連敗で土俵を去った。

2009年03月19日

ソウル特別市

ソウル特別市(ソウルとくべつし)は、大韓民国の首都である。

元は京畿道に属したが、1946年に独立し「特別市」となる。韓国にはソウル特別市のほか、6つの広域市が存在し、日本の政令指定都市に相当するといえるが、特別市・広域市とも行政道には所属せず、独立した自治体として運営されている。

朝鮮500年の王都で、四神相応の思想によって建てられた。なお「ソウル」は、新羅で「みやこ」を意味する「徐伐(ソボル)」が転訛した固有語である等、諸説いろいろあるがはっきりした語源は分からない。また、漢字表記(漢城・漢陽・京城など)の変遷に関わらず、古来朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われているが、これも必ずしも確証があるわけではない。いずれにせよ、「ソウル」は朝鮮語固有の単語であるため漢字表記は無く、通常はハングルのみで表記する。

気候は亜寒帯冬季少雨気候で降水量が少なく、内陸性気候傾向を示す。

ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、1975年の680万人から1990年には1061万人にまで到達した。しかし翌年の1092万人をピークにその後は微減傾向が長く続いている。これはドーナツ化現象が進んだためと見られ、日本の東京が高度経済成長に伴って急速に拡大し、その後都心部の人口が減少していったことと状況が極めて良く似ている。ただ都市圏そのものは現在も拡大を続けていて、既に韓国全国民のおよそ5分の1がソウル市民、およそ半分が首都圏在住という状態になっており、日本以上の首都一極集中が進んでいる。
漢陽・漢城 [編集]
「漢陽(ハニャン)」は新羅の時代から使われた名称で「陽」が川の北側を意味することがあって、「漢水(漢江)の北側の土地」の意味でつけられた地名だったが、高麗初期に楊州と改められた。高麗文宗代に南京となり留守が置かれる。忠烈王代の1308年に「漢陽(府)」の名称に復帰するが、李氏朝鮮建国後の1395年「漢城(ハンソン)」に改称された。中国、台湾など中国語を使う国では、「ソウル」に相当する漢字表記がないこともあり、長らくソウルのことを(旧名で)漢城といい、仁川国際空港近辺などの韓国の道路交通標識にもハングルと併記で「漢城」と表記されていた。ただし、新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。

ドバイ こぼれ ジェネ 月姫 キョウチ プイン プリプラ ハンドミキ キオス ストック スイートピ バランサー キクイン パンフ モカシン フィズ クォリティ そうめい ジンフ トップ デフォル きょくひ サーチナビム 村雨国内 ジンジャ 東へ西へ マルデ まっかり きうい ハナニ プラナ アプレッ ディスコ コック プルラン カイト ネイビー お手玉 とちひめ フォッグ ピョンヤン 金魚草 ヨーロッパ デコバギー ジャンク ノキオ ニューハフ デントデー ドール よもぎ

京城 [編集]
「京城」(日本語読みで「けいじょう」(歴史的仮名遣では「けいじやう」)、朝鮮語(韓国語)読みで「キョンソン」)は日本統治時代(1910年 - 1945年)に使われた名称である。韓国併合前から使われたソウルを指す名称の一つ(併合以前の韓国側史料の中にも数多く見受けられる)。1910年(明治43年)9月30日に公布・施行された朝鮮総督府令第7号(地方官官制第十七条ニ依リ府及郡ノ名称及管轄区域左ノ通定ム)に基づいてそれまでの「漢城府」から「京城府」となった(「府」は日本内地(日本本土)でいうところの「市」に相当)。実際には1945年以降も数年間使われている。独立後の韓国では、反日・克日的な意識の強まりと共に「京城」は日本によって植民地時代に強制的に変えさせられた名称と見なされて、そのため「改正」されるべき呼称として認識された。一方で、一部の商店や企業名など(京城紡績、現在の京紡)には今なお「キョンソン」の名称が残っている。しかし、これらの名称はこれらの企業がソウルが京城と呼ばれた時期に創業されて、企業名に当時の呼び名を当てられたが、その企業名が既に定着して、あえて名称を変えなかったことにもよる。朝鮮日報の場合と同じだと考えられる。また、京釜線、京義線、京仁線、京元線、京春線といった鉄道路線名の「京」も「京城」から取られていると思われがちだが、これらの路線名は日本の統治時代前に付けられたものもあり、「京城」の名称よりも「みやこ」の意味からつけられたと見るのがのが妥当だと思われる。ただし、「京釜高速道路」「京仁高速道路」などは独立後に命名されたものであり、ソウルと仁川の周辺を指す「京仁地域」も独立後に発生した地域呼称である。

2009年03月04日

アルトネリコ2 世界に響く少女たちの創造詩

レーヴァテイルや詩魔法が存在することは変わらないが、前作で登場した「ソル・シエール」とは異なる新たな世界「メタ・ファルス」が舞台である。しかしながら、「メタ・ファルス」も「ソル・シエール」と同じ星に存在するため、一部前作のキャラクターも登場する

メタ・ファルス
アルトネリコ2の舞台となる世界で、塔にへばりつくように創られた都市「パスタリア」と、その周りにある「リム」という人工の大地の上で人々が生活している。大鐘堂がある「パスタリア」は人口規制を行っているため、ルカが働く街「ラクシャク」などがある「リム」の方が人口は多い。
また、レーヴァテイルの扱いに関しては、レーヴァテイルが代々御子を務めているため、延命剤(ダイキリティ)が無償で配給されるなど、人間とはある程度の共存関係は築いている。待遇があまり良くないソル・シエールに比べると大切にされる方ではあるがスラムなどで貧しく生活するレーヴァテイルも数多く存在する。
大鐘堂
メタ・ファルスを統治している組織。クローシェ、クロア、レグリスらはここに所属している。現政権であるアルフマンは神との対決を宣言している。
神聖政府軍
大鐘堂に反抗する組織。大鐘堂とは対照的に、神との協調を宣言。
特徴的に大鐘堂は白い鎧、神聖政府軍は青い鎧で判別する。
メタファリカ
大地を創造できると言われている詩魔法。「メタファリカ」の意味は、前作にあったヒュムノス「ハーモニウス」の日本語訳を借りるなら「冀望の詩」という意味。400年前に一度謳われたが失敗に終わっている。
メタファリカを謳うことはこのゲームの最終目的でもある。理論を設計したのは400年前の御子・インフェル。「澪の御子」が世界中のI.P.D.と心を繋げて力を集め、「焔の御子」がそれを形(大陸)にする。そのためメタファリカのヒュムネクリスタルは二つ存在する。
インフェル・ピラ
メタ・ファルス上空に浮かんでいる球体。神を倒す唯一の兵器と呼ばれている。その正体はI.P.D.レーヴァテイル専用のサーバーであり、400年前にグラムルが基礎設計し、インフェル完成させたメタファリカの成功させるために創った物である。しかし、メタファリカ失敗直後にインフェルが失踪したことにより、制御できるレーヴァテイルがいなくなった上、ラキの攻撃によって一部破損したせいでH波流動などの制御ができなくなっている。
I.P.D.感染症
I.P.D.とは「インフェル・ピラ依存症」の略。レーヴァテイルにのみ発症し、「陽性」と「陰性」がある。
「陽性」で発症すると精神を蝕まれ詩魔法を暴発させ周囲にも被害を与える。「陰性」で発症すると、高熱で動けなくなるが、その周辺区域のレーヴァテイルは高確率でI.P.D.を連鎖発症する。
I.P.D.感染症になる原因は、「メタ・ファルス」世界の塔のシステムは未完成であるため、「メタ・ファルス」のレーヴァテイルは「インフェル・ピラ」と接続し詩魔法を行使する者と、「ソル・マルタ」を経由して他の世界の塔と接続し詩魔法を行使する者とに分かれる。前者の者は過去の戦争で「インフェル・ピラ」が破損を受けたことで、H波流動などの制御ができなくなっているため。人間からI.P.D.レーヴァテイルとして開花した際に苦痛などから感情が極度に不安定になるのが原因である(第三世代レーヴァテイルは生まれたときは人間である)。
発症した場合、治安維持のため大鐘堂の騎士隊へ引き渡すことが義務づけられている。
I.P.D.レーヴァテイル
レーヴァテイルとしてのI.P.D.とは、「Infel.Phira.Dependency(インフェル・ピラ依存体)」の略であり、400年前のメタファリカ計画の際焔の御子の力を後押しするための増幅器としてインフェル・ピラとセットで生み出された。その性質上I.P.D.のコスモスフィアはインフェル・ピラに移されるだけでなく深層で他のI.P.D.と結合され、心の護もその際消失してしまう。そのため、I.P.D.はダイバーを他のI.P.D.のコスモスフィアに入れないためにLV.8以降にパラダイムシフトが出来なくなる(ただし、LV.7にある「エンハンスドスポット」という鍵を操作すればシフトすることは可能)。
ダイバ いそべ シーアル ミュート メドレー チェンジ プロミ らんぶー キンシ トラッ ライター リモート サモエー セーブル マットレス ピナツボ ママ 大莢種 ゾーン デーモン ラミネート かむかむ ユー わらび リュージュ ネーション ターバン プリス ザック ドラドン リロート かみのく トーク フェナ メンター マトン ステビア リペア スナップ ツイスト ズー シング おにぎり デタント ほくとし ファイ マダム セオリ フィット マガダ

ストーリー
メタ・ファルスの世界は滅亡に瀕していた。僅かに残された土地は崩落の危機にあり、新たな土地を生み出すための詩魔法メタファリカは「神」と呼ばれる存在によって使用を禁止されている。人々はこの世界を離れる術を持たず、その上I.P.D.感染症と呼ばれる奇病にも苦しめられている。

I.P.D.感染症患者として連れ去られた生き別れの妹を探すルカと、メタファリカを謳うことができるとされる特別な御子クローシェは、神聖政府軍によるクーデターの際、共通の知人である大鐘堂の騎士クロアを介して知り合ったことをきっかけに、世界を救う手段の違いから対立する大鐘堂と神聖政府軍の戦いに身を投じていく。両勢力の計画がそれぞれ非人道的な犠牲を必要としていることが明らかになる中、あくまでメタファリカの実現に希望を見出すルカとクローシェは、メタファリカが禁じられている真の理由と、「神」と呼ばれている存在の正体、そして二人の間に秘められた因縁へと迫っていく。

クロア・バーテル(Chroach-Vatel) 声:遊佐浩二(幼少時は小松里歌)
18歳 男性 172cm/58kg
本編の主人公。大鐘堂の下っ端騎士だが実力は高く、周囲からはエースとして期待されている。ルカとは恋人同士で、幼少時に両親を失って以降はルカと共に彼女の親に育てられた。現在はココナと同居しており、彼女のことは妹のように大切に思っている。とある事件をきっかけにクローシェの護衛を務めることになる。普段着のときにかけているメガネは本物で、軽度の近眼である。なお、両親の死亡はレイカのI.P.D.暴走によるものであり(暴走の影響で母親がI.P.D.感染し、父親を殺した後で死亡した)、レイシャがクロアを引き取ったのはこの罪滅ぼしのため。シリーズ全体でも非常に珍しい男声の詩(ヒュムノス)を、ジャクリEDでのみ披露する。
瑠珈(ルカ)・トゥルーリーワース(Luca-Truelywaath) 声:小清水亜美
19歳 女性 157cm/42kg/78-56-78
本編のヒロインの1人。第三世代レーヴァテイル。幼馴染のクロアとは公認のカップルである。自分の精神世界に人を招き入れて癒す「ダイバーズセラピ」という仕事をしており、その道ではカリスマ的な人気を誇る。また元気で愛想が良いため、周囲の人々からの評判も良い。生き別れた妹・レイカとの再会を望んでいる。インストールポイントは左脇腹付近にある。
実はルカこそが本物のクローシェであり、「焔の御子」と呼ばれるメタファリカを謳う2人の御子の1人。アルフマンによるクーデターの際に暗殺された第32代焔の御子・アーシェの実子(従ってルカは第33代目にあたる)で、このときアーシェからレイシャに預けられた。焔の御子の証であるDセロファンをインストールされているため、フレリアと同じ「FRELIA_ANSUL_SOL=MARTA」のヒュムネコードを持つ。妹のレイカを探すためにパスタリアに行く必要があり、そのためにクロアを利用していたが、彼への気持ちもまた本物であり、その罪悪感に苦悩する場面もある。なお本人曰く、ヤンデレではなく「ドロデレ」らしい。
クローシェ・レーテル・パスタリエ(Chroche-Latel-Pastalie) 声:沢城みゆき
17歳 女性 165cm/47kg/91-60-88
本編のヒロインの1人。第三世代レーヴァテイル。メタ・ファルスで「最も尊い命」と言われる大鐘堂の御子であり、民衆からは絶大な支持を得ている。誠実で気高く規律を重んじる一方、やや世間知らずだったり、可愛いキャラクターグッズに目がないという一面もある。インストールポイントは左二の腕内側にある。レイピアを左手で振るったことから左利きの可能性がある。
本名は聆珈(レイカ)・トゥルーリーワース。僅か3歳という異例の幼さでI.P.D.を発症したため、I.P.D.保護を理由にラウドネスに連れ去られたルカの妹にしてレイシャの実子。しかし、クローシェ自身はI.P.D.ラボで受けた実験などの暗い記憶と共に幼少時の記憶を全て封印してしまったため、全く覚えていない(この封印された記憶は、彼女のコスモスフィアではアリスという少女の人格を成している)。焔の御子と対になる「澪の御子」として、「インフェル・ピラ」を制御できる唯一のレーヴァテイルである。澪の御子は旧大鐘堂(教皇家)及び神の関係者から「災いの御子」「禁忌の御子」と呼ばれているが、これはレプレキア(神にも対抗し得る兵器としてのインフェル・ピラの一形態、及びそれを制御するための詩)を操作できるためである。クローシェをはじめとするI.P.D.レーヴァテイルたちの詩魔法の処理サーバーを行っているのは塔ではなくインフェル・ピラであるため、彼女にはヒュムネコードが存在しない。
蛇刳(ジャクリ)(Jakuri) 声:宮崎羽衣
382歳(身体は15歳相当) 女性 153cm/34kg/71-51-75
黒いボディスーツを着た謎多きレーヴァテイル。性格は不遜で大胆不敵、また膨大な知識を度々見せる頭脳の持ち主。本編開始当初は大きなロボットに乗っており、「ジャクリ」とはその機体の名前である。本人曰く「名乗るのが面倒」なので、そのままジャクリと呼ばれている。インストールポイントはへその下、下腹部のあたりにある。
正体は前作のラストボス・ミュール。前作のエンディングでライナーらと和解した後、大陸創造のテクノロジーを調査するため、スピカと共にメタ・ファルスの地へやって来た。今作ではヒロインの1人となっている。メタ・ファルス世界では幻の存在とされるベータ純血種で、ヒュムネコードおよび本名は「MULE_TEIWAZ_ARTONELICO」。なお、ジャクリロボは前作にも登場したガーディアン・ELMA-DSRXと同一の機体。調合時の会話・宿での会話・スピカを交えた会話などで、時折前作の話を零す。
ココナ・バーテル(Cocona-vatel) 声:志村由美
11歳 女性 130cm/30kg
I.P.D.暴走により家族を失ったところをクロアに引き取られ、パスタリアで同居している少女。弱冠11歳ながらも高い戦闘能力を持つため、補佐役(サテライトガール)としてクロアの任務への同行を特別に許可されている。
至近で幾度となくクローシェの陰性I.P.D.発作の影響を受け続けたことで、作中においてI.P.D.レーヴァテイルとして覚醒してしまう。EDでは彼女の単独でも戦える程の(レーヴァテイルとしては異例の)強さを見込んだジャクリに頼まれ、彼女の知人のハーヴェスターシャに会いにティリアの塔へ旅立つ。他のヒロイン3人のコスモスフィアLv5をパラダイムシフトしなかった場合、彼女のEDとなる。
レグリス・ブランシェスカ(Legris-Brancheca) 声:てらそままさき
38歳 男性 191cm/93kg
大鐘堂騎士隊長。厳格な性格で、隊員たちからの信頼は厚い。また観察眼に優れ、クロアの優れた能力を入隊試験時に既に見抜いていた。
彼もまたI.P.D.暴走で妻と娘を失っている。アマリエを娘と重ねて見ている節がある。アルフマンが行った所行を知っており、その事への疑念を抱き長年苦しんだが、事態が進行するに連れて騎士として自らが真に仕える可能性を二人の御子に見出す。
アマリエ・ジェラード(Amarie-Jerhad) 声:後藤沙緒里
20歳 女性 168cm/48kg/83-63-92
流れのレンジャー稼業を営む傍ら、ライアー奏者としても生計を立てている女性。空腹で倒れかけていたところを助けられ、ルカに懐く形で半ば強引に一向に加わる。戦闘時にはライアーを弓や剣などに変形させたり、ライアーに込められた魔力を利用する。
テル族と人間のハーフで、400年前に失われた知識や技術を密かに受け継ぐ「澪の民」と呼ばれる集団の生き残り。17年前にカナカナ突堤で起こったI.P.D.暴走鎮圧事件で家族を失って以降、自分を引き取り育ててくれたチェスターに好意を抱いている。本編開始時は神聖政府軍に属するチェスターの下で動いていたが、その目的が当初の「I.P.D.開放」からすり替わってきていることに疑念を抱いている。なお、20歳というのは外見年齢であり、実年齢は29歳前後。
瞬(シュン)(Shun) 声:速水奨
746歳 オオカミ
「神の使い」として、神聖政府軍に協力しているオオカミ。大鐘堂に対抗しうる知識・技術を有し、また自身の戦闘能力も高いため、大鐘堂に属するクロアたちの前に幾度となく立ちはだかることになる。かつては人であったらしく、犬扱いを嫌がる。
正体はシュンと呼ばれる獣の姿をしたデジタル生命体に、「エンジャ」と呼ばれる人格データが付与された存在。エンジャとは第一紀と呼ばれる高度文明時代の人物で、12賢人の1人クリジャパの息子である。彼の役目はフレリア神を護ることであり、他のことは全て些末事。神聖政府軍への協力も、400年前から行方不明になっているフレリアの探索をメタ・ファルスで表立って行うために過ぎない。

心の護
ゲンゴロー(Gengorou) 声:野川さくら
ルカの心の護としてコスモスフィアに居る少女(本人曰く男の子)。ダイバーズセラピの際には案内役としてお客様のサポートも務めるため、本人は自身のことを「受付係」と称する。語尾に「?のね」を付けるのが口癖。
本来の姿は大事な妹のレイカを連れ去られたルカのためにレイシャが作り、ルカがずっと心の拠り所にしていたペペン(ペンギンに似た生物)のぬいぐるみ。ルカとレイシャの関係が冷たくなったため、自身の姿が常にルカをレイシャとの問題に直面させ、ルカと自身に辛い思いをさせてしまうことを恐れたゲンゴローがコスモスフィア内で「ディーポイントの意思」(Dセロファンの中にずっと潜んでいた400年前の第14代焔の御子・ネネシャの精神)と契約し、現在は元の姿を捨ててネネシャの姿になってしまっている。

2009年02月13日

おれのなつやすみ

私立さくらんぼ小学校の作品の中では、従来のジュブナイル路線ではなく、エロ萌え路線として成功した作品[1]として知られる。但し、苦魔鬼は「エロ萌え路線に専念するつもりはない」と語っており、本シリーズも本編は2作のみ、以降は単なるエロ萌え路線ではなく、女の子視点の導入などによる新しい路線「ロリータ路線」に転向している。
チップ ドミナ シェルパ トースター ダフる日本 ぶんたん シンクロ ドラバ ミスジャ スフレ デネブ バラン フレスコ ドンマイ モロヘイヤ ハンド リムパック バルナ ジュンブ 有明の月 リバランス リフィル 聖護院 ハイカ デフレー スライム 宵月の宴 アシスト パイオニア ハルビ トータル パード サラダ サーチ恋道 チェリ エイトビー ミルト ユーティ ランド ディー ゲーセン 世界の窓 スト チアナ タントラ スタンス 宝船 ヘアー ブルドッ フリーサ

これまでシナリオエンジンには独自エンジンである「ransel(ランドセル)」が使われていたが、本シリーズ中の『おれのなつやすみ2』で汎用エンジンの吉里吉里を使用、それ以来、後続作品でも継続して吉里吉里を使っており、その意味でもターニングポイントの一つとなる作品シリーズである。また、本シリーズは後に、シリーズ作品をひとまとめにしたリニューアルDVD版『おれのなつやすみ DVD-BOX』として発売されているが、当初「ransel」が用いられていた『おれのなつやすみ』『おれのなつやすみ番外編』も、リニューアルの際には吉里吉里で組みなおされて収録されている。

主人公の母親が出産で入院することとなり、父親も単身赴任中であったため、主人公は明音島にある親戚の家に預けられることになる。親戚の家で3年ぶりに会った2人の従妹「亜理朱」「花梨」は、主人公に積極的に迫ってくるのだった。家に帰るまでの約1週間、主人公は楽しい夏休みの思い出を作っていくこととなる。

主人公
6年生(11歳)。
亜理朱(ありす)(声:長崎みなみ)
明音(あかね)第2小学校の5年生(10歳)。陸上クラブに入っており、運動が得意。逆に勉強はちょっと苦手。性格は明るい。いわゆる「ボク少女」。
花梨(かりん)(声:桜井薔子)
明音第2小学校の小学2年生(7歳)。大人しいが、イタズラ好きな面も見せる。亜理朱よりもしっかりもののところがある。
ゴリゾウ
亜理朱のクラスメイト。ジャイアンのような、小学生にしては大柄な体格で、1年後を舞台とした次作では170cmを超える。初対面こそ主人公とは敵対的であったが、ひょんなことからエロ親友となる。明音島の山中の洞穴にエロ本などのエロアイテムを大量に隠し持っており、エロ博士とも呼ばれている。亜理朱のことが好きだが、亜理朱からは嫌われている。

[編集] システム
本作ではMAPシステムが設けられている。滞在初日と滞在2日目は導入パートであり、ゲーム本編は滞在3日目から(タイトルで「いきなりげーむ」を選択すれば滞在3日目から始めることが可能)となる。滞在3日目から8日目までの間、日中4回(AM10時、PM0時、PM2時、PM4時)、MAPを用いて明音島内の移動先を選択することができる。移動した選択先には「アイテム入手イベント」「従妹たちとの接触イベント」が設けられている場合がある。

「アイテム入手イベント」は「エロ本」「ブラジャー」などのエロアイテムを拾うというイベントである。拾ったエロアイテムをゴリゾウに届けることで、アイテムに応じてゴリゾウから代わりのエロアイテム(エロ漫画や官能小説など)を入手することができ、それによって「脇ズリ」「机の角オナニー」「裸エプロンプレイ」などのエロ知識を覚えることが可能である。エロ知識を覚える際には覚えたエロ知識が赤字で大きく表示され、以降、「従妹たちとの接触イベント」でエロ知識を実技に活かすことが可能になる。なお、覚えたエロ知識は「亜理朱」「花梨」いずれ向けであるかが事前に決まっている。

「従妹たちとの接触イベント」は、「アイテム入手イベント」で入手したエロ知識を実技に活かすイベントとなっている。但し、対応する「アイテム入手イベント」を発生させていない場合は「従妹たちとの接触イベント」は発生しないようになっている。また、「従妹たちとの接触イベント」のこなし方によって、エンディングが若干変化するようになっている。

本作のシナリオエンジンはransel(ランドセル)であるが、『おれのなつやすみDVD-BOX』に収録されているものは吉里吉里で組み直したものとなっており、スケジュール帳という機能が追加されている。MAP選択画面から呼び出すことができ、滞在中の日時と移動先の場所が表形式で示されている。「アイテム入手イベント」「従妹たちとの接触イベント」に遭遇すると、そのイベントの発生日時と場所がスケジュール帳に自動で記録されるようになっているため、一度発生させたイベントはスケジュール帳を見ることで発生条件を確認可能である。
シリーズ第2作。本作より吉里吉里を使用、本シリーズ以降の作品も吉里吉里が主流となっており、ターニングポイントとなる作品の一つである。前作よりもヒロインの年齢設定を下げている。

主題歌の「夏休みとお兄ちゃん♪」は萌え電波ソングとして知られており、「笑える電波ソングを集めるガイドライン」においてゴールド殿堂入りの曲となっている。曲の中の「ちゅぴちゅぱぁ」は、曲および作品の代名詞としても知られる。

夏休みのある日、親戚の娘達を1週間預かることになる。1つ違い(=5年生)の女の子2人と聞いて張り切って迎えに行った主人公だったが、確かに1つ違いの姉妹(7歳と6歳)であった。しかも、主人公の母も、趣味の書道で賞を取ったことから、1週間旅行に出かけてしまう。こうして、1週間もの間、女の子2人のお守りをすることになってしまうのだった。

主人公
小学6年生。身長170cmと大柄。ゴリゾウとは大親友。
真理菜(まりな)(声:天堂あかり)
小学2年生(7歳)。ボーイッシュで、主人公にも男の子に間違われてしまう。出会ったときは険悪な感じだったが、後に主人公のことを「アニキ」と呼んで慕う仲に。
梨絵(りえ)(声:天天)
小学1年生(6歳)。女の子女の子した、可愛いタイプ。訪問先の家での挨拶や、家事の手伝いもできるしっかりもの。しかし、おねしょの癖があり、寝るときはいつもオムツを履いている。
ゴリゾウ
小学6年生(前作より1学年上となっている)。

基本的なシステムは、前作同様である。前作と異なる点は、以下の通りである。

日中の活動回数が5回(AM9時、AM11時、PM1時、PM3時、PM5時)となっている。
MAP選択画面において、「アイテム入手イベント」が発生する場所には事前に?マークが表示され、「従妹たちとの接触イベント」が発生する場所にはそこに登場する従妹のデフォルメ表示が行なわれる。
「従妹たちとの接触イベント」において、3Pイベントが設けられている。3Pイベント時には、MAP選択画面におけるデフォルメ表示も2人で表示される。
エロ知識を覚えた際の演出に変更がある。前作では単にテキスト表示で「オレは○○を覚えた」と表示(○○部分は赤字で大きく表示)されるだけに対し、本作ではポップアップ形式で「○○の知識をゲットした!」と覚えたエロ知識が表示される上、効果音(効果声)が設けられている。
本作はゲームというよりは回想シーン集という形式となっており、第1作のファンディスク的な作品となっている。

舞台は第1作同様、親戚の家。主人公が第1作の翌年の夏休みに、親戚の家に遊びに行く(2人の従妹に会いに行く)というストーリー展開となっている。作品内容は、オープニングストーリーの後、9種類の回想シーンの中からお好みの回想シーンを選択(繰り返して選択可能)、その後どれか回想シーンを選択すると登場する、10種類目の回想シーンである「お別れの日」を選択すると、エンディングストーリーと共にゲーム終了となる。エンディングストーリーの内容は回想シーン選択に左右されることはない。なお、タイトルで「いきなりげーむ」を選択することで、オープニングストーリーをスキップして、回想シーン選択からゲームを始めることも可能となっている。

回想シーンを選択している際は、その回想シーンの概要を「亜理朱」と「花梨」が朗読調に解説してくれる演出となっている。

2009年01月27日

ジョゼフ=モーリス・ラヴェル

ジョゼフ=モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)はバレエ音楽『ボレロ』の作曲や、『展覧会の絵』のオーケストレーションでよく知られたフランスの作曲家。

1875年にフランス南西部、スペインにほど近いバスク地方のビアリッツ近郊にある町シブールで生まれる。生家は、オランダの建築家により17世紀に建てられたもので、アムステルダムの運河に面している建物のように完全にオランダ様式を呈して、サンジャンドリュツの港に面して建っている。母マリーはバスク人であった。一方、父ジョゼフはスイス出身の発明家兼実業家であった。家族がパリへ移住した後、弟エドゥアールが生まれた。両親はラヴェルが音楽の道へ進むことを激励し、パリ音楽院へ送り出した。在学中、ラヴェルは多くの若く革新的な芸術家と行動を共にし、影響と薫陶を受ける。

音楽院の14年の間、ガブリエル・フォーレやエミール・ペサールらの下で学んだラヴェルは、有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みる。しかし作品のクオリティーを認められながらも年齢制限により最終選考から外されるなどした。その落選理由の不純さは波紋を呼び、フォーレをはじめ、ロマン・ロランらも抗議を表明。パリ音楽院院長のテオドール・デュボワ(Théodore Dubois)は辞職に追い込まれる事態となった。これは「ラヴェル事件」と呼ばれている。結局ラヴェルはローマ大賞に5回挑戦。1901年には最高3位まで上り詰めている。(カンタータ「ミルラ」)

1907年、歌曲集「博物誌」の初演後、エドゥアール・ラロの息子ピエール・ラロはこの作品をドビュッシーの盗作として非難し、論争が起こった。しかし、「スペイン狂詩曲」が高い評価で受け入れられると、すぐに批判はおさまった。そしてラヴェルは、ロシア・バレエ団のセルゲイ・ディアギレフの委嘱により「ダフニスとクロエ」を作曲。

第一次世界大戦中、ラヴェルは年齢とその虚弱体質から、小規模軽量を考慮した上でパイロットとして徴募したが、その希望は叶わなかった。代わりにトラック運転手として兵籍登録されることとなる。当初の手記では、彼が戦時中に運転したトラックは「砲トラック」か総括的なトラックとの言及がほとんどで、救急車を運転するとの言及はないという。大戦で友人たちを失ったラヴェルはその死を悼み、「クープランの墓」を作曲した。その後、フランス政府が彼にレジオンドヌール勲章を授与したが、ラヴェルはこれを拒否した。

1928年、ラヴェルは初めてアメリカでピアノによる演奏旅行を行った。ニューヨークでは彼はスタンディングオベーションを受けた。同年、オックスフォード大学はラヴェルに名誉博士号を与えた。

1932年、パリでタクシーに乗っている時、交通事故に遭い、記憶障害や言語障害などが徐々に進行していった。筆記体は活字体になり、手紙を1通仕上げるのに辞書を使って1週間も費やした。また渡されたナイフの刃を握ろうとして周囲を慌てさせたが、自身の曲の練習に立ち会った際には演奏者のミスを明確に指摘している(どんな病気にかかっていたか、またその原因が交通事故によるものなのかどうかは諸説ある[1])。病床にあって彼はいくつかの曲の着想を得、それを書き留めようとしたがついに一文字も書き進める事が出来なくなったと伝えられる。さらに体調が悪化、1937年、彼が望みを賭けていた脳の手術が失敗し、まもなく世を去った。62歳。遺体はルヴァロワ・ペレ(Levallois-Perret)(パリ西北郊)に埋葬された。

晩年を過ごしたイヴリーヌ県モンフォール・ラモリ(Montfort-l'Amaury)にあるラヴェルの最後の家は、現在ラヴェル博物館(Musée Maurice Ravel)となっている。浮世絵を含む絵画や玩具のコレクション、作曲に用いられたピアノなどが展示されている。

作風
「オーケストレーションの天才」「管弦楽の魔術師」と言われる卓越した管弦楽法、「スイスの時計職人」(ストラヴィンスキー談)との評もある精緻な書法が特徴的である。母方の血筋であるスペインへの関心は様々な楽曲に見出だされ、「ヴァイオリン・ソナタ」「ピアノ協奏曲ト長調」などにはジャズの語法の影響も見られる。

ラヴェルはドビュッシーと共に印象派(印象主義)の作曲家に分類されることが多い。しかし、ラヴェルの作品はより強く古典的な曲形式に立脚しており、ドビュッシーとは一線を画していた。ただし自身への影響を否定はしながらも、ドビュッシーを尊敬・評価し、1902年には実際に対面も果たしている。また、ドビュッシーもラヴェルの弦楽四重奏曲ヘ長調を高く評価するコメントを発表している。

ラヴェル自身はモーツァルト及びフランソワ・クープランからはるかに強く影響を受けていると主張した。また彼はエマニュエル・シャブリエ、エリック・サティの影響を自ら挙げており、「エドヴァルド・グリーグの影響を受けてない音符を書いたことがありません」とも述べている。更に先述のようにスペイン音楽、ジャズに加え、アジアの音楽及びフォークソング(俗謡)を含む世界各地の音楽に強い影響を受けていた。

ラヴェルは、また、リヒャルト・ワーグナーの楽曲に代表されるような宗教的テーマを表現することを好まず、その代わりにインスピレーション重視の古典的神話に題を取ることをより好んだ。

ピアノ協奏曲ト長調について、ラヴェルは、モーツァルトおよびサン=サーンスの協奏曲がそのモデルとして役立ったと語った。彼は1906年頃に協奏曲『Zazpiak Bat』(「バスク風のピアノ協奏曲」。直訳だと「7集まって1となる」というバスク人のスローガン)を書くつもりであったが、それは完成されなかった。ノートからの残存や断片で、これがバスクの音楽から強い影響を受けていることを確認できる。ラヴェルはこの作品を放棄したが、かわりにピアノ協奏曲など他の作品のいくつかの部分で、そのテーマとリズムを使用している。

ラヴェルは、「アンドレ・ジェダルジュ(André Gedalge)は私の作曲技術の開発において非常に重要な人でした」とコメントしている(ジェダルジュは対位法教程を残した最初期の作曲家でもある)。

後世への影響
「作曲家は創作に際して個人と国民意識、つまり民族性の両方を意識する必要がある」と言うのがラヴェルの考え方であった。1928年、アメリカとカナダの25都市の大きなコンサート・ホールでピアノ公演を行なうため渡米した際も、アメリカの作曲家達に「ヨーロッパの模倣ではなく、民族主義スタイルの音楽としてのジャズとブルースを意識した作品を作るべきだ」と述べており、一説によればオーケストレーションの教えを乞うたジョージ・ガーシュウィンに対して「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などない」と言ったといわれている。

ラヴェルに作曲を教えてもらった数少ない人物にレイフ・ヴォーン・ウィリアムズがいた。ラヴェルは当初、彼の作品をいくつか見て、モーツァルトの様式で小さなメヌエットを作るよう指示したといわれている。

ヴォーン・ウィリアムズ自身はラヴェルから学んだことを次のように述べている。「重苦しくて対位法的な、いわゆるゲルマン様式は必ずしも必要ではないというようなことを言われた。【複雑多様ではあるけれども繁雑難解ではない】というのが彼のモットーであった。また彼は私に楽譜どおりではなく、音色のニュアンス、表現のあやをどういうふうにオーケストレートするかということを示してくれた。(中略)彼は展開のための展開に反対した。ひとつの要素は、なにか他のよりよきものに到達するためにのみ発展すべきであると言う考えだった。(中略)ラヴェルは私のことを「自分の模倣をしない」唯一の生徒であったと言った」

彼の曲を得意とするピアニストはマルグリット・ロンや彼女の弟子のサンソン・フランソワなどがいるが、特にラヴェル本人から楽曲について細かいアドヴァイスを受ける機会があったヴラド・ペルルミュテールは、ラヴェルの意図を忠実に再現した「ラヴェル弾き」と言われる。

代表的な作品
※括弧内の西暦は作曲年

ピアノ作品
グロテスクなセレナード(Sérénade grotesque, 1893年頃)
自筆譜では単に「セレナード」という題である。
耳で聞く風景(Les sites auriculaires)
ハバネラ(Habanera)
ドビュッシーが「グラナダの夕べ」に盗作したのでは、と物議を醸した作品。後にオーケストレーションして「スペイン狂詩曲」の第3曲に使われている。
鐘の鳴るなかで(Entre cloches)
口絵(Frontispice)
古風なメヌエット(Menuet antique, 1895年)
亡き王女のためのパヴァーヌ(Pavane pour une infante défunte, 1899年)
水の戯れ(Jeux D’Eau, 1901年)
アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

ソナチネ(Sonatine, 1903年?1905年)
中庸の速さで(Modéré)
メヌエットの速さで(Mouvement de menuet)
生き生きと(Animé)
鏡(組曲)(Miroirs, 1904年?1905年)
蛾(Noctuelles)
悲しい鳥(Oiseaux tristes)
海原の小舟(Une barque sur l'ocean)
道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)
鐘の谷(La vallée des cloches)
夜のガスパール(Gaspard de la Nuit,1908年)
オンディーヌ(Ondine)
絞首台(Le Gibet)
スカルボ(Scarbo)
マ・メール・ロワ(組曲)(Ma Mère l'Oye,1908年?1910年)
眠りの森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant)
おやゆび小僧(Petit Poucet)
パゴダの女王レドロネット(Laideronette, Impératrice des Pagodes)
美女と野獣の対話(Les Entretiens de la Belle et de la Bête)
妖精の園(Le Jardin Féerique)
ハイドンの名によるメヌエット(Menuet sur le nom d'HAYDN, 1909年)
高雅で感傷的なワルツ(Valses nobles et sentimentales, 1911年)
モデレ(Modéré - Très franc)
アッセ・ラン(Assez lent)
モデレ(Modéré)
アッセ・ザニメ(Assez anime)
プレスク・ラン(Presque lent)
ヴィフ(Vif)
モワン・ヴィフ(Moins vif)
エピローグ、ラン(Epilogue)
ボロディン風に(A la manière de Borodine, 1913年)
シャブリエ風に(A la manière de Emannuel Chabrier, 1913年)
前奏曲 イ短調(Prélude, 1913年)
クープランの墓(Le Tombeau de Couperin, 1914年?1917年)
前奏曲(Prélude)
フーガ(Fugue)
フォルラーヌ(Forlane)
リゴドン(Rigaudon)
メヌエット(menuet)
トッカータ(toccata)
パレード(Le parade, 1896年)
メヌエット嬰ハ短調(Menuet en ut dièse, 1904年)

協奏曲
ピアノ協奏曲ト長調(Concerto pour piano et orchestre, sol majeur)
アレグラメンテ(allegramente)
アダージョ・アッサイ(adagio assai)
プレスト(presto)
もともとはバスク風協奏曲として計画されていたもの。
左手のためのピアノ協奏曲(Concerto pour la main gauche)
第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタイン(哲学者として知られるウィトゲンシュタインの兄)の依頼によるもの。ジャズの影響が色濃い。

管弦楽作品
スペイン狂詩曲(Rapsodie espagnole,1907年)
夜への前奏曲(Prélude a la nuit)
マラゲーニャ(Malagueña)
ハバネラ(Habanera)
祭り(Feria)
マ・メール・ロワ(組曲:ピアノ曲からの編曲、1912年)
クープランの墓(組曲:ピアノ曲からの抜粋編曲、1919年)
前奏曲(Prélude)
フォルラーヌ(Forlane)
メヌエット(Menuet)
リゴードン(Rigaudon)
亡き王女のためのパヴァーヌ(ピアノ曲からの編曲、1910年)
古風なメヌエット(ピアノ曲からの編曲、1928年)
『シェエラザード』序曲(Ouverture 'Shéhérazade')
海原の小舟(Une barque sur l'océan)(ピアノ曲からの編曲)
道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)(ピアノ曲からの編曲)

オペラ
スペインの時(L'heure espagnole)
1幕のオペラ。時計屋の女房に言い寄る男たちをコミカルに扱った歌劇。
子供と魔法(L'enfant et les sortilèges)
'子供と呪文' という場合もある。2幕のオペラ。

バレエ音楽
ボレロ(Boléro, 1928年)
ダフニスとクロエ(Daphnis et Chloé, 1909年-1912年)
全曲版、および全曲版から抜粋した第1組曲、第2組曲がある
ラ・ヴァルス(La Valse, Poème choréographique, 1919年-1920年)
マ・メール・ロワ(全曲版)
ジャック・ルーシェの依頼によるバレエのための編曲。組曲版とは順番が違い、前奏曲と間奏曲が付加され、全体が続けて演奏される。1912年に初演。
前奏曲(Prélude)
第1場: 紡ぎ車の踊りと情景(Danse du rouet et scène)
第2場: 眠りの森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant)
第3場: 美女と野獣の対話(Les entretiens de la Belle et de la Bête)
第4場: 一寸法師(Petit poucet)
第5場: パゴダの女王レドロネット(Laideronnette, impératrice des Pagodes)
アポテオーズ: 妖精の国(Le jardin Féerique)
高雅で感傷的なワルツ(アデライド、または花言葉)(ピアノ曲からの編曲、1912年)

室内楽曲
遺作のヴァイオリン・ソナタ(1897年作曲、単一楽章)
弦楽四重奏曲ヘ長調
序奏とアレグロ(Introduction et allegro)
ピアノ三重奏曲イ短調
フォーレの名による子守歌(Berceuse sur le nom de Gabriel Fauré)
演奏会用狂詩曲『ツィガーヌ』(Tzigane)
ヴァイオリンとピアノ・リュテアル(またはピアノ)のための作品。ヴァイオリンと管弦楽にも編曲された。
ヴァイオリン・ソナタ
ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
ドビュッシーの墓(トンボー)(Le tombeau de Claude Debussy) - ヴァイオリンとチェロのためのソナタの第1楽章となった。

声楽曲
暗く果てしない眠り
聖女(Sainte)
クレマン・マロのエピグラム(2 Epigrammes de Clément Marot)
クレマン・マロの2つの風物詩とも。
私に雪を投げるアンヌへの(D'Anne qui me jecta de la neige)
スピネットを弾くアンヌへの(D'Anne jouant de l'epinette)
シェエラザード(Shéhérazade)
アジア(Asie)
魔法の笛(La flûte enchantée)
つれない人(L'indifférent)
おもちゃのクリスマス(Le Noël des jouets)
5つのギリシア民謡(5 Mélodies populaires grecques)
博物誌(Histories naturelles)
くじゃく(Le paon)
こおろぎ(Le grillon)
白鳥(Le cygne)
かわせみ(Le martin-pêcheur)
ほろほろ鳥(La pintade)
ハバネラ形式のヴォカリーズ(Vocalise-étude en forme de habanera)
草の上で(Sur l'herbe)
トリパトス(Tripatos)
民謡集(4曲; Chants populaires)
スコットランドの歌(Chanson écossaise)
ステファヌ・マラルメの3つの詩(3 Poèmes de Stéphane Mallarmé)
ため息(Soupir)
むなしい願い(Placet futile)
壷のなかから一飛びに躍り出た(Surge de la croupe et du bond)
ドビュッシーが同時期に、第1曲、第2曲と同じ詩に作曲している。
無伴奏混声合唱のための3つの歌(3 Chansons)
ニコレット(Nicolette)
3羽の美しい極楽鳥(3 Beaux oiseaux du paradis)
ロンド(Ronde)
2つのヘブライの歌(2 Mélodies hébraïques)
カディッシュ(Kaddish)
永遠の謎(L'énigme éternelle)
マダガスカル島民の歌(Chansons madécases)
ナアンドーヴ(Nahandove)
おーい(呼び声)(Aoua!)
休息-それは甘く(Repos-Il est doux)
ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ(Don Quichotte à Dulcinée)
ロマンティックな歌(Chanson romanesque)
勇士の歌(Chanson épique)
乾杯の歌(Chanson à boire)
もともと映画「ドン・キホーテ」の劇中歌として作られたが、映画では使用されなかった(イベールの曲が採用された)。
アリッサ(Alyssa)1903
アルシオーヌ(Alcyone)1902

合作
ジャンヌの扇(L'éventail de Jeanne)
ジャック・イベール、アレクシス・ロラン=マニュエル、アルベール・ルーセル、ダリウス・ミヨー、フランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリック、フロラン・シュミット、マルセル・ドラノワ、ピエール・フェルーとの合作。そのうち1曲目のファンファーレを担当。

編曲
展覧会の絵(Tableaux d'une exposition; ムソルグスキーのピアノ曲を管弦楽編曲)
謝肉祭(シューマンのピアノ曲を管弦楽編曲、ただし現在3曲しか楽譜が残されていない)
舞曲(スティリー風タランテラ)(ドビュッシーのピアノ曲を管弦楽編曲)
サラバンド(同上)
華やかなメヌエット(シャブリエのピアノ曲を管弦楽編曲)

私家作品(未完、断片など)
フーガ(紛失)
マズルカ(1ページの断片)
交響曲のスケッチ
モーヌ大将(構想のみで現存はしないが、作曲はしたという説あり)
スケート滑り(断片)
組曲(第1ピアノ部分欠落)
「室内」のための前奏曲(オペラ「室内」の未完原稿)
グリーグの主題による変奏曲
カリロエ(現存せず)
モーリス・ラヴェル博物館
パリ郊外モンフォール・ラモリー fr:Montfort-l'Amaury (パリ・モンパルナス駅より約50分、駅前より徒歩45分または車)にある最晩年の家をそのまま保存し、博物館として展示している。
墓碑
パリ近郊ルヴァロワ(パリ・サン・ラザール駅より約15分)の墓地にある。

2009年01月19日

料理(りょうり)

料理(りょうり)とは、食品や食材、調味料などを組み合わせて加工を行うこと、およびそれを行ったものの総称である。

加工には加熱、発酵、冷却、撹拌など様々なものがある。この加工の過程は「調理」というが、区別されず「料理する」と呼ばれることもある。加工のうち、特に加熱されたものを「料理」とし、加熱されていないものを「生」(なま)と呼んで対照する場合もある。
プライス ルックス オレン クリーム スペキ バンク ふるさと ハナナ オリジナル トップトラ オーロラ ストロー 暮らし ギング フーテン ビバレッ スーパー ション プロット とびいろ 白梅便利 すその ヒヨド メゾソ 京いも ソウチク ハンド ブラック デュアル みやこ トリマー ハシッシ カプセ ドッグ レンゲ アドオン きつね パープル 赤いろうそく ファイト プロフ ファンファ タックス キャル イグル あまぎ コメント いなば 検索ゆずゆ ファッ


民族、人種、地域などにより、使用する食材・調味料などが大きく異なり、調理法にも差がある。同一民族内の階層によって異なる料理が存在する例もある。特に君主や貴族などがある場合、特殊な料理が発達する例が多く、それらは宮廷料理などと呼ばれる。

また、同じ食材でも多種多様な料理がある。それらは地域や民族による調理法や主食などとの関連、入手可能な調味料などの食材の差、気候との関連、あるいは宗教的等の制約によって異なる。

料理と類似するものに菓子があるが、多くの文化において料理とは別のものと考えられることが多い。主に食事として食べるためのものか、間食として食べるためのものかの違いによるが、例えば「お好み焼き」のように、意見が分かれているものもある。

主食とする食品についても、料理に入るかどうかは明確に判別されていない。

大きいものを適当な大きさに切るのは料理の基本の一つであり、料理の過程の初めに行われる。食べる、あるいは取り上げるのに適当な大きさに切るのがよく行われる。ただしある程度大きい形になったものを調理し、食事の際に切る例もある。日本料理の刺身はほぼこの過程のみで作られ、その技術によって歯触りや味も異なるとされる。より細かく粉砕することもある。

穀物を粉砕する場合もあるが、これは多くの場合料理以前にまとめて行われる。これは「擂る」と言うが、これによってできた粉末は練って固めて塊や麺の形で用いられる。この加工過程も料理に含まれる。

加熱
多くの料理は加熱が行われる。加熱には寄生虫や微生物を殺す殺菌の意味もある。加熱は火を使って行われるのが普通だが、直接に火にかけない例もある。以下のような方法がある。

焼く:直接に火の熱を当てる。串に刺したり、網の上に置く。鉄板の上で焼く場合もあるが、炒めるのとの区別は難しい。
炒める:加熱容器に少量の油を引いて加熱する。
揚げる:容器に多量の油を入れ、それに食品を浸して加熱する。
煮る・茹でる・炊く:容器に多量の水を入れ、その中で加熱する。
蒸す:食品を直接に火にかけず、容器に入れてその内部の高温の空気や水蒸気で加熱する。

調味
味付けをすること。そのための素材を調味料という。食塩はほとんど必ず使われる。味付けは切る過程の後に行われ、それ以降順次追加される。調味料を加えるタイミングや順番は重要で、間違えると目指す味にならない場合がある。

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