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若狭国の状況

『延喜式』によると、若狭国は10日毎に「雑魚」、節日ごとに「雑鮮味物」、さらに年に一度「生鮭、ワカメ、モズク、ワサビ」を御贄として納めることが定められている。

すでに述べたとおり藤原京跡や平城京跡より、多量の木簡が発掘されている。調は絹や麻などの糸や布で納められることが一般的であった。しかし木簡からは若狭国では塩により調が納められたという大きな特徴がある。

若狭には8世紀以降使用されていたと思われる製塩施設が、船岡遺跡・岡津遺跡(旧大飯郡)などで発見されている。これらの製塩施設は大規模で、周辺住民が日々に使用する塩を作るためというより、時の権力による強制力により労働力が集められて、製塩が行われたと考えられている。
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若狭国の地理的特長を見ると、海岸線はリアス式海岸で複雑に入り組んでおり、対馬海流の影響で海産物に恵まれている。一方で平野部は狭く限られており、田畑の面積は少ない。また、若狭国は、8世紀に置かれた郡は遠敷郡、三方郡の2郡であり(9世紀に大飯郡が遠敷郡から分離して3郡に)、近国で一国二郡は志摩国、淡路国とあわせて3国しかなかった。このように田畑の少ない場所が国単位として成立していたことは、皇室・朝廷にとって特殊な場所であったと推定される。
『延喜式』によると、志摩国は10日毎に「鮮鰒(なまのあわび)、さざえ、蒸鰒(むしあわび)」を納めることが定められていた。また節日ごとに「雑鮮の味物」の献上も定められていた。

平城京跡から発見された木簡に「志摩国志摩郡」の表記が見られ、当初は志摩国は一国一郡であったと推定される。

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2009年12月01日 05:01に投稿されたエントリーのページです。

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